あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

酒と旅と散歩とか日々の記録ブログです

純米原理主義について思うことを書く

※写真は内容とビタイチ関係ない(夏っぽいの貼っただけ)

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congiroさんが大昔、純米原理主義者だったことを知っている方はどれくらいおられましょうかね?といっても自分に適用していただけで、他の人がどうこうってのは一切興味なかったけど。
俺がそんな純米原理主義から抜け出したきっかけってのは色々あるわけですけど(ここでは割愛)、抜け出したからといって純米が嫌いになったわけではなく、他の(普通酒とか)も好きになっただけなんですけどね。
まぁ、なんというか一部の原理主義者が純米しか認めないがゆえに暴走して純米じゃない酒を飲んでる人に攻撃仕掛けるのが嫌だったわけですけども。ちなみに純米じゃない酒を飲んでいる人は別に純米派に対する攻撃をしていないので、単純に純米派が訪れてきて大暴れして帰っていったみたいな、ハタから見ると○キ案件でしかないのですけどね。(マジでそういう人は一部しかいませんよ!でも蔵元にも居るから超厄介なんですけどね!)
まぁ、以前は稀というかわりとあったんですよ。わりと!
それから数万光年経った現在。ずいぶん煙たかった一部の純米原理主義は、年を取ったのか大人しくなった感があるわけですよ。
こうなったらこうなったでちょっと寂しい感じがするのは身勝手な感想かもしれんけどw

ところでですね、今回はそんな純米原理主義を評価したくなってきたのでこのエントリ書いとるわけです。引き合いに出すのは新時代日本酒でございます。
ちなみに言っておくと、特定の人間の批評・批判ではございません。
どちらかと言えば、業とか宿命みたいなものを書くだけです。

新時代日本酒についてはcongiroさんも好きです。
好みのもあるし好みでないのもあるけど、日本酒の新しい形としては好きです。
過渡期だからこそ色んなものが生まれては消えてゆく…そんなところも好きです。
で、いま、新時代日本酒と言ったら銘柄何を思い浮かべますかね?
まぁ、流行りの日本酒でいいと思うけど。

では例えば思い浮かべたそれは、いつから新時代で、これから近い未来も新時代と言えるであろうか?
と、そう考えると、YESと言いづらいところがあるのよね。
なんというか、その手の酒は「常に最先端でなくてはいけない」みたいなところがあって、そのスパンは年々短くなってきてる気がするわけですよ。

新時代日本酒の多くの酒が目指すところは十四代みたいなところではないかと思うんですけども。もはや味じゃなくて存在としてね。革命でありながらいまだ最先端でありつづける、新時代でありながら定番であるというそんな存在って意味ね。

多くの新時代日本酒はそういう立ち位置を目指してるのかもしれんけど(知らんけど)、もう○○とか●●とかもう誰も口に出さんことない?(○○と●●には思いつく銘柄入れてくださいまし)
なんか移り変わりが激しくてなかなか定着せず、求められるものは話題性と新規性だとすると、早晩疲弊してしまうのではないか?とも思わんでもないわけですよ。

そこへ行くと純米原理主義さん。
基本的に新規性にはこだわってません。
新BYになれば「今年の〇〇(新BY)は楽しみだね!」みたいな話題は上げてるみたいだけど、新規性という意味においてはそこまで気にしておりません。

なんと言いますかね~、攻撃性が鳴りを潜めた今なら、原理主義は案外理想的な思想ではないのかな?とか思わんでもないんですよね。
なんといっても同じものを愛し続けるというのは立派なことですからね。

ただそれだけでございます。
では股。