あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

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あのcongiroが大吟醸・純米大吟醸を大いに語る&『大吟醸・純米大吟醸の会』雑感

これは先日の『大吟醸・純米大吟醸の会』で参加者の皆さんが持ってきた大吟醸・純米大吟醸です。

これはcongiroさんが出した純米大吟醸ですね。

磐城壽 山廃純米大吟醸
これはヒジョーにヒジョーに美味かったです。

では、『大吟醸・純米大吟醸の会』雑感とか色々書いときます。

 

【1.大吟醸・純米大吟醸は大吟醸・純米大吟醸の味がした】

そもそもこの会を開催した理由って、「大吟醸・純米大吟醸って自分で買って飲むことってよっぽどなことがないと無いよね?」と思ったから、そのよっぽどの機会を創出しただけのことである。俺ら(ら?)訓練兵は何かしらマニアックな酒は手持ちのカードにあるので、たまには手持ちのカードに無い酒を直前で買ってくるも良かろう…みたいなね。たまにはちょっと高めの酒を買うのも良いやろと。

で、集まった大吟醸・純米大吟醸ーズだけど、まぁだいたいは同じような味だった気がしますね。まぁ米削りまくって造られた酒だから『要素を込める酒』ではなく『要素を削ぎ落とす』だからね。そして吟醸香がある…ってのが大吟醸・純米大吟醸だからどうしても近しいところは出てくるよね。
まぁなんというか、自由曲ではなく課題曲みたいな立ち位置です。

で、俺が持っていった磐城壽 山廃純米大吟醸は、自分で言うのもなんだけど、今回参加者が持参した大吟醸・純米大吟醸の中では一番うまかったもののひとつだった。一番うまかったのだが、これは大吟醸・純米大吟醸のフォーマットではない、大吟醸・純米大吟醸で求められる内容ではない、みたいな感じの味でしたね。「通常の山廃純米酒として美味い」のであって、「大吟醸・純米大吟醸として美味い」というわけではなかったという感じですな。
かといってこれが純米スペックで売っていたら絶対そっち買うんよね。
だからまぁ美味い、すごく美味いのだけど、ちょっと意味合いはビミョーやなと。

そんな感じで、近年は伝統フォーマットとは違う、味わいを出した大吟醸・純米大吟醸って散見するんけど、これってなかなかムズい感じするんよね。
伝統フォーマットから外れているし、値段は上がるし、味の方向性が同じなら低精米のほうが良いことが多いからね。どの層を狙っているのかはよくわからない。

 

【2.実は大吟醸・純米大吟醸と普通酒は同じなのではないか?という話】

値段も味も全然ちゃうけどね。
【1】の話の続きにはなるけども、大吟醸・純米大吟醸を乱暴に定義すると…
「米を削りまくって吟醸香を出して高級感を出せ!」というものです。
では普通酒を乱暴に定義すると…
「醸造アルコールと、場合によっては糖類、酸味料使ってもエエから安く安定したものを出せ!」というものです。
結果として、高級感と日常感という反対の方向性は持っているものの、要素の少なさと味の幅の少なさは普通酒と大吟醸・純米大吟醸は似ている…と思うわけです。
高いか安いかの違いはあるけど、定義がハッキリしているってところを考えると、普通酒も自由曲ではなく課題曲みたいな立ち位置ですなぁ、と思うわけです。
フォーマットがハッキリしていて、対になる要素が高級感の有無って考えると、「普通酒の上位版が大吟醸・純米大吟醸である」ってのはものすごく理にかなっているなと。

そう考えると純米酒カテゴリはフリーダムすぎるんよな。
普通酒の上位版が純米酒になるかっていうとならんこと多いし、純米酒の上位版が大吟醸・純米大吟醸になるかっていうとならんことのほうが多いわけです。
純米酒は完全な自由曲として暗に捉えている蔵は多いんじゃなかろうか。

なんとなくなんとなくではあるけど、俺の中で、普通酒→本醸造→純米酒→特別純米酒→純米吟醸→純米大吟醸を右に行くにつれ上位版ですって示してる蔵って、俺の中では黒龍がわりとそんな感じでやってるようながしている。俺の中で。
準大手・大手のチャレンジ枠でない酒に関しては割とそんな感じではあるけど、なんとなく黒龍がそんな感じしちゃうな。ラベルにも一貫性あるしな。

 

【3.昔、大吟醸・純米大吟醸はおいしかった。という話】

今のがまずいという話ではない。
このブログを好き好んで読んでるような訓練兵には伝わるであろう。
昔、米を削ったことに意味を見出す、いわゆる高級酒は、人からもらうタイプの酒であり、それこそ「ありがたやありがたや」と飲んでいたはずだ。たぶん。
高いことがステータスであり、高いからこその高精米から生み出される吟醸香と日常酒とは違う高級であろう瓶の形状などがステータスを示す指標であった。たぶんメイビー。
『雑味がなくスッキリしていて吟醸香が感じられる高級っぽい瓶』というフォーマットの存在があったからこそ、普通酒などの日常系の対なる存在になれて、だからこそ普通酒ばかり飲んでる人がたまに贈られる大吟醸・純米大吟醸を飲むことで相手への感謝の気持ちも含めて”ありがたく、美味しいもの”という印象を持てた…という話であろう。

そしていま、日本酒新時代ですよ!新時代!
対になるみたいなのではなく、様々なタイプの『美味い』酒が出てきてしまった!
テンプレ化したフォーマットのありがたやありがたや酒が『相対的に美味い』という地位を失ってしまったのだ!こりゃどうしたことか!?

実際に大吟醸の売れ行きは落ちていると風の噂に聞いている。風の噂なのでよくわからん。出どころの信憑性は『某OB』とか『球団関係者』くらいと思ってくれw
まぁそんな感じで、テンプレの崩壊により大吟醸・純米大吟醸は必ずしも贈り物に向くものであるとは言いづらくなってきた。
かといって、ソリッドな新時代日本酒は「刺そう!」と思っていない相手の贈り物にはものすごく不向きである。
つまり、既存蔵からすると数少ない回収プランが絶たれてしまったとも言えるよね。
昔は日常的には安酒をメインで売って、お歳暮とかの贈り物でたまに高い売れてキャッホイ!ってしてた黄金パターンが瓦解してしまった訳ですからね。

テンプレを捨てた時代はすべてが自由である。自由!
自由…それは甘美な響きなれど、自由を享受できるのは界隈の一部だけなのであるよな。いや~これはもう時代ですね!完全に時代です!
誰が良いわけでも悪いわけでもない。時代です!

 

【4.これからの大吟醸・純米大吟醸がこの先生きのこるには?】

どうなんやろね?「たくさん削りました!」「吟醸香ありま~す!」にありがたみ感じてる人が減ってる状況でなんか生き残る術あるかね?
俺はよくわからんけど、鑑評会以外で「本気で大吟醸・純米大吟醸ガンバリマス!」って蔵がどれだけあるのか知りたい。
以前は定義が存在していたからこそ造っていたものだったけど、定義が存在しなくなった時代&需要が減った時代において大吟醸・純米大吟醸をガチります!って蔵どんだけあるもんなのかね?
そもそもよ、大吟醸・純米大吟醸って蔵もそんなに飲まんのよ。日常的に飲めない&飲まない酒って今の時代において精度上げれるもんかね?
そういった意味では「全部を純米大吟醸にしてる獺祭って戦略的にすごい」ってcongiroさんはこの世に産まれる前から言っていましたからね?

あ~、で、大吟醸・純米大吟醸がこの先生きのこるにはって話だったよね。
前述のフォーマットが生きているであろう地域の蔵についてはあとちょっとは生き残れるやろね。それ以外はどうやろな?というか、大吟醸・純米大吟醸が生き残らない時代ってのは日本酒を取り巻いていた日常のルーティンも終焉ってことで普通酒も終わってるだろうし、「純米スペックの”美味しい酒”だけを造って売らなければいけない」っていうハードコア状況なので、そもそも日本酒の需要が無くなってるから大吟醸・純米大吟醸を生き残らせるみたいな考えもしなくて良くなるんじゃないやろか?
何の解にもなってないなw

えっと…メチャ暴論ぶっちゃけると、大吟醸・純米大吟醸なんか全部委託しちゃえば良いんじゃない?造れないっしょ?容器と売り方だけ考えたら?