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酒と旅と散歩とか日々の記録ブログです

飲まない週間(火ようび):なんか安酒(妥協酒)のこととか思いつくままにテキトーに書く

今日も調子悪いので飲んでおりません。
なのでなんか思いついたことをテキトーに書きますわ。

 

【安酒(妥協酒)のこととかテキトーに書く】

トップ画像にした大関の話というか、昔の超大手・地方大手の酒の話かな?
昔の灘・伏見などの超大手酒や地元大手酒を飲んだ経験のある最後の世代の者(たぶん)としての記憶というか。

昔のメインで売れてた安酒って「甘べったりそれなのにアルコールの感じが強くて辛い」という相反する感じを持っていたのが割りと多かったと思う。
そしてそれがいわゆる”安酒”と称されるやつだった。
現代ではそういう酒はほとんど見られないようになっている気がする。
なんならそういう酒を見つけようと思ったら、どこか過疎った地方の売れてない地酒蔵の酒でしかあんま見られない。しかしそれすらももはや懐かしさだけで飲めてしまうのである。
”安酒”を揶揄するマンは恐らくその時代の酒を指していると思う。
だって今ほとんど無いもの。俺みたいに頑張って探して見つけれるくらいですからね。
だからそもそも飲んでないと思うんけどね。
文句付けるような酒を時代が変わっても試し続けてるのはよっぽどなマゾだと思う。
まぁ確かに昔の”安酒”と称される酒はマズいの確かに少なくなかった。
でもその毒っぽい感じは揶揄されもする一方、確実に魅力でもあったんよね。
だからこそ多くに飲まれ続けてきたわけで。

んで現代。
大手なんかは特に顕著なんですけど、メイン販売の酒の質はすげー変わったと思うよ。
時代変われば人も組織も変わるのですわ。
組織は長い時間をかけていわば人々を教育してきた。
教育というか飲み手を先導してきたというか。
時代時代に応じて「これが私たちの味ですよ」と示してきた。
昔の『妥協』は毒っぽさで構成されていて、現代は形を変えて別のなにかになった。

現代の『妥協』は虚無である。

その結果、この現在の大関があるのだとちょっとだけ思った。
実に虚無くて実にいい。
妥協の形は昔と今で違うのだ。