大崎下島~!イエー!大崎下島~!イエー!
この島のメインは大長エリアと御手洗エリアと言っていいでしょう。たぶん。
俺が事前に調べたのはこの島だけで、またこの島で出てくる情報の殆どは御手洗エリアでした。観光地なので。
大長は商店などが多そうなので、生活圏が大長で観光圏が御手洗なのかもしれませんな。(→当たってた)
トップ画像は御手洗の路地。
まずは大崎下島に入ってすぐ西側の大浜地区。
ここは特に何かあるわけでもないんですけど、地図みると美容室とか郵便局とかあるからなんぞ集落的なところがあるかなと。
このエリアでは、人通りが無さそうな道でもみかんを路上売りしているところが結構ございました。
俺もひとつ買いましたよ!はるみちゃん!
そしてこれ、軒先でミカン売ってた美容室のカンバン。
美しいですね!
まぁとにかくいたるところでミカンは路上販売されていました。
ではそろそろ次の御手洗地区へ行きましょう。
御手洗地区に到着。
到着するやいなや、みはらし食堂にてこの日2度目となる昼食。ここは前もって調査してて、本当はここで食べて終わりの予定だったんだけど豊島の路地で最高すぎるお好み焼き食ったために結果として昼飯2回目という。俺みたいな旅をやってるひとはけっこうこういう事あるんじゃなかろうか?
店は永遠に存在するわけじゃないなら食えるときは食うのだが、ショーケースの中のは食べなきゃだしおでんも味噌汁もーってやってたら完全に食いすぎた。でも満足!
御手洗地区を回る前に高台から全景でも見てみましょう。
『歴史の見える丘公園』より望む御手洗エリアとか他島々のようすをどうぞ。ここは車あるなら来たほうが良いかもしれませんな。全体一望できるし、単純に景色が良い。
ちょっと下って見晴らしの良いところ。
おいらん?
御手洗は江戸時代より風待ち・潮待ちの港とされていたと色んな所で見るんだけど、全く何のことかわからんかったので自分用に簡単にまとめた。お前らもありがたく拝聴せよ。
■潮待ち
瀬戸内海の海峡は干潮から満潮にかけて鞆ノ浦に向かって潮が流れ込んで来て、満潮から干潮にかけては逆の流れとなる。その潮の流れを利用して合理的に航行するため潮の流れを待つことが『潮待ち』という。
潮待ちのために一定の間隔で港が出来た。
■風待ち
船に帆が使われるようになって帆走能力が高まったメーン!
潮の流れが穏やかなだったら多少の逆潮でも風さえあればCHA-LA HEAD-CHA-LA!
というわけで、潮待ちで作られた港に風待ちの付加価値が付いたよ!知らんけど!
■御手洗
御手洗は人と情報が集まる潮待ち&風待ちの港として(江戸くらいに?)発展。
いくつかのお茶屋が置かれ、花街として栄華を極める!
大きくない離島なのに栄えた理由がそこにはある!
う~ん、歴史。いいですね。
それでは御手洗の中心エリアに参りましょう。
御手洗地区は国重要伝統的建造物群保存地区となっているため小綺麗でございます。かつては劇場や遊郭建築もあったそうで(建築物自体は残っている)、かなり栄えていたとのこと。まぁ確かにこれまでの島とは一線を画してますね。
流石に江戸時代からそのままの形で残ってるところはないからある程度は再現となるわけですが、当時を再現したような作りは安芸灘諸島(とびしま街道)内では最初の島(下蒲刈島)とここ御手洗だけで、まぁ小綺麗なこと。
この時計屋(新光時計店)は時計界では全国的に有名らしく、機械式時計の修理は随一とのことで全国から修理依頼が来るそう。
俺が通ったときもルーペを片目に付けたじいさまが時計修理をしておりました。
何代も続いていて当時から残っている店のひとつ(ていうかたぶんここだけ)なんだとか。すげーな。
引き続きまちなみをどうぞ。
しかし…平日のためか店もあんま開いてないし人気をあまり感じないですね。まぁ静かな方が好みなんですが。
とはいえ観光地に人がおらんとオジちゃん心配になるんだぜ。
ちなみに俺は遊郭跡とか劇場があったとか知らんかったので今この記事を書いてる時に調べて判明し、もっと調べとけばと後悔している。
ここは学校だったのだろうか?
観光要素バリバリのところに突如現れるパブスナックゆたか!
突然現れた生活の匂いにcongiroさん胸がほっこり。
御手洗地区のラストは御手洗マンホールで〆。
財力のある(あった)地域ならではのマンホール。他地域は見てないからよくわからんのだが。
さて、お次のエントリは同じく大崎下島となりますが、俺が調べてなかった大長地区となります。俺がエレクチオンしたのは何といってもこちらです。
一般的にオススメは御手洗だけど、このブログ好んで見てるようなフリークスなお前らには大長がオススメかもしれないぞ。
次のエントリ→