『純米酒の終焉』って御大層なタイトル付けとるけど、別に終わらんからな!
終わらん終わらんw
先日、鳩ヶ谷のマスヤ酒店が閉業した。知らんうちに廃業していた。
それでちょっと感じたので下書きで塩漬けしたやつを加筆修正してアップしただけである。
即座に「純米酒は終わった!」みたいなことを言いたいわけではない。
だけどまずはそれを前提として話す。
というわけで、このエントリは何年も前に書いていた下書きに修正してアップしているものです。割と尖った書き方している部分はかなり昔に書いていたところで、いま同じ内容を書こうと思ったらメチャ丸くなる…というかめんどいから書かないw
新規追加した箇所は青字見出し部分ですね。
黒字見出しは大昔に書いたやつの改変とか追記。
■純米酒だからってウマいのって一部だけじゃん問題
正直ね、多くの純米酒専門店みたいなとこに売ってる酒で、長きにわたって再現性を維持しつつ「ほんとに美味い!」みたいな純米酒って、俺の中では日置桜と長珍だけなんよね。(※まぁこのへんは人によるし「〇〇もあるだろ!」ってなるかとは思うけど、多いので割愛して代表的なものだけ挙げている)
日置桜と長珍に関しては、正直、純米という枠がなかろうとただひたすら美味しいし、なによりずっと俺好みであるわけですよ。
あと再現性無視して俺の好みのBYがあったりなかったり~でいえば、唯一無二の味わいを持つ香取とか悦凱陣とか旭若松とかはメチャ好きですね。
これらは俺も買うし、これらは純米だから買ってるというよりは、日置桜だから、長珍だから、香取だから、凱陣だから、旭若松だから、それらに信頼が置けるから、だから買っている。というだけでしかないわけです。
では他のはどうだろう?
「純米酒である」という庇護(庇護?)を離れたとき、それは単体でも生き残るポテンシャルを持っているのだろうか?そう考えるとかなり謎なんよな?
「純米燗酒系酒屋の置いてる酒は基本的に同じラインナップ」とはたまに聞く言葉であるし、そうよね~とも思うし、俺も過去にその言葉を発したことはある。
しかし、まぁそれは純米燗酒カテゴライズすることで、上原御大を教祖とすることで、信仰してもらうとか、信仰の下にあるものを庇護するという原理主義的システム(?)、という考えからするとヒジョーに正しいと思うわけです。
しかし、その手の酒屋は減った情報は聞くけども、増えているか?というとあんま知らんのよな。
近年だとキャリカーズ(神田)が新しく出来たけど、でもキャリカーズって純米燗酒支配下の酒をたくさん置いてるだけで、思想が原理系とはちゃうんよね。普通酒も結構置いてるし。
■原理系・御大系の高齢化
あと、上原御大系の流れを汲む純米原理主義者の高齢化が何気にデカいね。
その声は攻撃的なことも多く、ともするとウザい扱いもされる原理主義者ではあるんだけど、声が小さくなると存在も小さくなるんよね。
①嫌がられる言葉を積極的に発していた
②発言自体が無い
一見すると②のほうがアンチを増やさないだけ良さそうだけど、①の方が認知は上がるんよね。そして原理系・御大系の流れを汲む純米酒推進派は高齢化とともに元気がなくなってしまった。そのことが純米酒もとい純米燗酒を推す上でのひとつの時代の終わりを示していると思う。
原理主義トップランナーの老いは、信者の心の拠り所を不安定に不確定なものにさせているし、あまりに排他だったために新たな世代への橋渡しに失敗したし、ある意味怠った。…と、結果的にはそういうことになる。今現在が結果なので。
老いでない原因があるとするなら…
中心にあった人たちが、純米の限界を感じてしまった(あるいは飽きた)。
ないしはアル添の悪くないものを体験してしまったなど(もしそうだとしても宗旨替えは表立ってやらないと思うが)、なのかもしれん。
まぁ単純に老いとは思うけど。
昔は酒場とかSNSで元気に噛みついていた人たちが殆ど見られなくなってしまった。FBではちょっと見る気がするけど。
ところで、今ってアレじゃない?世代が違う人と一堂に介しちゃう酒場減ってない?
若者が集まる酒場は若者好みの外観・内装・PR等をすることで、実質的に若者以外の侵入を防いでいる。そしてその戦略は正しい。
一堂に介する系の酒場には若者はあえて寄り付かない。
世代間の分断が起こることで、無駄なバトルはなくなった。
若者は若者だけで、老人は老人だけで、サロン化したところわちゃわちゃしてろシステムが完成した。
そして世代間の分断は信仰をも分断した。
■実は味なんか誰も分かってないのでは?
純米燗酒至上主義者は実は囲われた信仰系以外の酒をほぼ飲んでいない。
それに「純米燗酒〜!」とか言っときながら、庇護の下に居ない純米蔵・準純米蔵の発掘をしていない。
純米燗酒を謳う酒屋、居酒屋で住吉とか渡邊佐平商店とかオバステ正宗の酒とか置いてるの見たことないし。ここらへんは下手な純米燗酒群よりも相当ええんけど、完全にスルーされている。
純米燗酒で美味ければ何でも良いってなら、それこそ純米蔵でなくても美味い純米死ぬほどあると思うんけどね。米宗とか剣菱桶を終えてから大化けしとるし。
己が主張は強いのに発掘を怠っているってのは、実は味なんか分かってませんの証明になりゃせんか?

また、今現代で過激な純米派がいるとしたら、上原御大家の流れを汲んでいない、よく分からんコンサル崩れライターとかファッション純米共が「アル添は悪」のような発言をしている程度で、アレに関しては原理主義者のような“信仰心”が無くて、残念ながら無知ゆえのファッション目立とう精神しか見えないから擁護も理解も1bitたりともできない。
上原御大家の流れを汲む原理主義者は過激なだけで信仰が見えるから理解はできる。
まぁでも正直、純米とアル添の味の違いを言語化できんやつとか話にならんのよ。大して飲んでないやつが脆弱な主張でファッション原理になるんや。
■美味しんぼの呪縛がなくなった
逆にいま脚光を浴びているのはリュウジですw
あと俺たちの範馬勇次郎先生。

俺たちの心を育んできたものの多くは”毒”(便宜上の表現)である。
で、結論とか無いんだけど終わらんので適当に〆る
銘柄も何もかも取っ払って飲んだときに、アル添のほうが味が安定している。これはマジで事実。純米酒を造るのは苦手だけど、本醸造と普通酒は美味いみたいな蔵は山程存在している。
「どこはそれなのか?」
お前が意識してない空気化扱いの蔵の大部分だよ!
地方の聞いたことない蔵は純米に言葉以外の優位性を感じていないんや。
でも求める人(言葉をありがたがる人)が増えたから純米も造ってますみたいな蔵メチャ多い。
「純米ないですか?って聞かれるので造ってます」は地方蔵で何度も聞いたw
そもそもその発言した蔵の人、その純米飲んでないw
飲んでない酒が美味いわけなかろうよ。
でもその美味しくない、(地元の人が飲まないがゆえ)地酒でない純米酒を「純米」と言うだけで買うやつが味で買ってるとは到底思えない。
純米酒であることは、別にアドバンテージではない。
「アドバンテージを持った純米酒が一部存在している」だけだ。
では仮に日置桜と悦凱陣と旭若松と長珍と香取を純米界から引き抜いたとしたら、「純米こそが正義!」って言えるか?
結局は純米が正しいのではなくて、確固たる一本立ちできる個性こそが生き残るだけの話じゃないのか?
最後に…
このエントリは純米酒の終焉と言うか、いわゆる『信仰としての純米酒』は新たには増えてないよねって話でした。
俺も好きで通っている純米系の店はあるんだけど、今の経営者が辞めちゃったらたぶん引き継がれないでそのまま廃業するところばかりだと感じている。
そして”教え”はやがて瓦解し、信仰のカテゴリはひとつのジャンルに戻るのだろうね。知らんけど。
しかしカテゴライズによる信仰心みたいなのは、有効な時代が確かに存在したよな。
でも時代は変わってしまった。
今は新政信者でさえデキの悪い新政をフツーにディスっているし。
それは信者のあり方としては正しくないが健全である。
原理系は自分らの庇護のもとにあるものはディスらなかった。
信者のあり方としては正しいが健全ではない。
どっちが良いのかは俺にもわからないw