※画像と内容は無関係だぞ
『パワースポット』って単語、言葉がある。
その言葉は、今までただの巨木・神社だったものに意味を与えた。
パワースポットなる言葉のおかげで「ただの○○」は霊的な意味を持つ物質・場所に昇格した。
言葉が存在する前から巨木や神社に言葉にはない感覚を持っていた者にとっては、
「パワースポット」って言葉はなんかむずがゆくもあるのだが、
放っておけば朽ちてしまうだけの存在が若干息を吹き返したのだ。
もちろん、場を乱すような者の存在も増えたので、その点は痛し痒しではあるが。
『考えない層』は、存在が『言葉や行動』で表現されていないと、
それは存在しないのと同じなのだ。
分かるか?この意味が。
存在しないものを存在したらめる方法とはなにか?
それは、幅広い層に分かりやすい言葉・行動を認知させることだろう。
先細りになっていく未来を見ず、ささやかな褒美のために生きるのか?
それとも全てを受け入れ、先の見えない未来に踏み出し光をともそうとするのか?
『今までのやり方で通用した』というその感覚は幻想のようなものだ。
たまたま利用者が居たのだ。
作者の思想が認められたわけではなく、できあがった物が認められていただけなのだ。
その当時の時代にたまたま合っていただけなのだ。
生産者の気持ちと消費者の気持ちは切り離して考えるものなのだ。
すでにその時代になって数十年は経ってると思うのだがな。
乖離が生じている状況下にあっても「何かの間違い」とは思っとりゃせんか?
間違ってるのはだいたいお前なのだ。
答えは市場なのだ。
あんたらは芸術家かなにかと間違えとりゃせんか?
作ったものは作品なのか?自分と取り巻きに提供するだけのものなのか?
収入がゼロでもやり続けるくらいの気持ちがあるなら別だが。
「自分が好きでもないものを人に薦めるわけには行かない」
それはそうかもしれない。
だとしたら、自分が好きなものを人にも好いてもらうための努力はしたか?
オナニーで終わってしまっては、オナニーはオナニーのままだぞ!
お前らのオナニーとAV嬢のオナニーは何が違うと思う?
どちらが有益だと思う?
(大いに脱線中)
恋は思いだけでは実らんぞ。
愛は言葉なくしては伝わらんぞ。
やさしさは行動なくしては広がらんぞ。
「気持ちがあれば言葉は要らない」
その考えを俺は傲慢と呼んでいるのだ。