あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

酒と旅と散歩とか日々の記録ブログです

酒の一番おいしい瞬間を提供するのは誰の役目なんだとかそういう感じのなんか

※画像と内容は無関係

友人がツイッターで話題にしていたもので。
ネタ不足だから便乗すっぞ。


まずこれ見てくれ。


◆老舗はまだ身の丈にあわず…?
http://blog.taoti.net/?eid=246
このブロガーさんが四谷三丁目の飲み屋で体験したことらしい。


いまでもこういう居酒屋があるんです。
これを俺はどう考えるか?


んー、まぁ俺も年々嗜好の変化なり思想の変化などがあったりするわけで。
数年前ならそういう居酒屋には噛み付いていたかもしれないけども、実際のところ自分が言われたわけではないからどうでも良いか〜って印象です。自分が言われたら狂犬病ドッグよろしく超噛みつくけどな。


まぁ、冷静に色々考えてみますが。
まず、率直な意見としては、居酒屋の発言は『それもひとつの真理かもしれない』ってことだな。かも知れないというレベルでしかないけども。


ただし、これが絶対の真実であるならば、疑問とか矛盾とか出てくるわけですよ。
たとえば極端なことを言えば、口開けした一杯目を飲んで「美味い!」といった人が数十分後に二杯目をもらって「これは口開けではないから美味くない!」という事例があるやもしれん。ま、これは超極端な例であるけども。
そこまで極端ではなくても、一升瓶なんてなかなか無くならないんだから、口開けの二日目以降に飲む人とか居ますわな。そうすると、「なんだよ、俺のは口開けじゃないのかよ!」ってのがあるかもしれん。結局は口開けの一人目以降は劣化した酒を飲まされているということになってしまうよね。
そしたらこの店のおやじが『よそで日本酒を注文するときは「口開け直後のお酒はありますか」と聞くと、一番美味しいのを味わえるよ』という発言はちょっとおかしいよな。


で、最初に述べた『ひとつの真理かもしれない』の部分だけど、これは何かというと、実際にそういう酒が存在しているということだな。
そしてこのおやじがその手の酒しか扱わないし、他の世界もそういうもんだと断定していれば、まぁある意味正しいですよね。と。
確かに口開けが一番美味くて、それから時間経過とともにどんどん落ちていく酒ってのはあるわけですよ。
でも、口開けの瞬間に飲んだ人以外は厳密に言えば口開けではないってのは事実よね。
だとするとさ、そういう酒をそうそう無くなりもしない一升瓶で提供していること自体がおかしいんじゃないの?と俺は思うわけですよ。


時間経過とともに落ちていく酒であれば、そういう酒しか造らない酒造においては、一升瓶での提供でなく一合瓶で一般流通させるのが正解だと思っております。
だってさ、美味しくない瞬間を飲まされる必要が消費者には全く無いじゃない?自分で熟成なり、劣化なりさせるのが趣味の人間ならいいけどさ、酒ってみんなそんなこと考えて飲んでなくて、ただ美味しいのを期待して飲んでるだけじゃない。
だとしたら、消費者である飲み手に美味しい瞬間を伝えたいと本気で思っているならば、一番美味しい状態で売る必要が出てくるんじゃないの?
結局は、美味しい瞬間を確実に提供できているわけではない状態で、造り手や売り手がそういう発言することは愚である、と、そう結論付けられるわけですよ。


つまりは口開けした瞬間にすべてを振舞ってしまえるくらいの人数であるか、いつでも口開けである小瓶であることが望ましいということですよね。



このおやじの発言はわざわざ客に言うことではないけども、実際にそういう酒があるのは確か。
で、俺がこれを話題にしたのは、やっぱそういう酒を造っている蔵は自覚したほうがいいと思っててな。
しかもそういう酒だけを扱っている飲み屋は意外とこだわりを持っていなかったりするんだ。
2日目以降がまずくなる酒であるならば、まずい状態を客に提供しているわけだから、酒造としてはイメージダウンになるはずなのよ。
だったらさ、容量の小さい瓶で販売するのが一番いいんじゃねーの?って思うわけですよ。


こういう発言が売り手から出てくるのであれば、造り手である『自分の蔵はそういう酒を造っている』と自覚している蔵は何らかの対処をしてもいいはずだ。
そういう意味ではこのおやじの発言は何らかの意味を持つだろう。




ま、でも、俺はそもそも口開けの瞬間が美味しい酒とかあんま飲まんからな。
「熟成してなんぼ」「燗してなんぼ」みたいな酒しか飲まんしな〜。





余談ではあるけども、「女は処女が一番!」という口開け至上主義者の発言に対しては、「それはそういう考え方もありますよね。でも、俺は不二子みたいなエロを武器にしたじゃじゃ馬が一番好きですよ」とか、「う〜ん、僕は篠崎愛の首についてる明らかなキスマークを隠そうともしない堂々と”妄想を膨らませよお前ら!”な状態から繰り広げられるある種のあざとさこそが極上のエロスだと感じますね」とか、「私は、主婦がだんなを見送り子供を幼稚園に連れて行って帰宅後、床に座ったときに見せる少し疲れた表情と、緊張感から解放って言うのかな、体の弛緩に引きずられるかのように表れた服の皺具合、そしてそこから十数秒後にメール着信音でハッと我に返るまでの静謐な、そして永遠とも思える瞬間(とき)にこそ、えも言われぬエロチックさを感じます」とか、「ワシは…せやな、新体操のボールありますやんか、ボールな。ほんでな、女の子が演技中に落として転がったボールを追いかけている様がええんやないかって思うわけですわ。そのときの恥ずかしさと焦りいうたら、どんなんユニフォームがセクシーいうても、そのときは意識がボールに向かってますやろ。そんでボール拾った後は真剣に続きをやるんやけども、もう糸が切れとるんですわ、緊張の糸が。もう本人にも入賞はないとわかってんやろうね。その瞬間、諦めにも似た感情が真剣さを覆ってしまいますのや。なんか、そういうのね、自分じゃコントロールできへん感情の移り変わりが…おっちゃん、エロいねんな〜って思うわけですわ。」とか、まぁこう考えれば色々あるじゃない?


正解は人によって、場所によって色々あるけど、すべての真実ではないのです。
そして、日本酒はすべてを内包すると思うのです。



だから、「ウチはそうだが、お前はどうだい?」でいいよ。


ま、そういうことで。


じゃな。





あ、ちなみに俺は、十四代・磯自慢・飛露喜の生酒だろうが平気で燗にしちゃう飲み屋とか、そもそもそんなん客の勝手だしどうでもいいよって店が大好きです。
これは俺があんまり外飲みをしない理由にも繋がっております。


おわり。