あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

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もやもやシリーズ(その6):日本酒は売れるんやろうか?

※画像と内容は無関係

過去にも同様の問題点挙げた気がするけど、これはかなり大きな理由の一つだと勝手に思っとるんだがね。


『日本酒のおいしさは、考えないとわからない』


ということ。


日本酒ってロースペックのやつからハイスペックのやつまであるじゃん。
値段も様々で、一升瓶で1000円切ってるやつもあれば、三万円を優に超えるやつもあるよね。
品質・値段共にロースペックのやつはさ、そもそも大して美味くなくて単純に酔を得るための媒体であるわけよ。
ま、勿論それをうまいと思って飲んでる人が居るのも事実であるけど、比率的には「美味いわけではない」という感想が得られるのではないかと思うのよ。


値段・品質共にハイスペックのやつはさ、多分だけど好みの問題を置いといて考えれば、「美味い」っていう人が多いと思うんだよ。
だけど、値段までハイスペックなだけにそうそう手も出せないし、日常的に飲むような感じでもないから、自分で飲む用としてはなかなか買えんしそうそう売れんわけよ。


そして問題は、多くの日本酒クラスタが大好きなミドルクラスですよ。値段が2500〜4000円くらいのやつ。
こいつらはまたムズイ!ここらへんは特にマニアックな酒もあるし、そうでないのもある。当たり外れも超多い。


ミドルクラスを語る前にさ、ローとハイについて語るけど、ローは考えないで飲む酒と思ってるの。んで、ハイは考える必要すら無い酒と思ってるわけよ。
で、戻るけど、ミドルクラスは個性的すぎてさ、考えなきゃわからんのが多いんだ。
いま、地方の酒蔵が挙って競い合ってるのもこの辺の値段帯が多いように思えるのよね。
これは考えて飲む層には面白いことこの上なしなんだけどね。
でもよ、そもそも日本酒ってそんなに難しい存在だったっけ?
俺はさ、日本酒に限らず、利用者に理解が必要な製品ってのは、基本的には一定数量以上の人口増は望めないと考えとるわけよ。(無理と言っているわけではなくて、現状の手法ではないアプローチが必要と言っておるだけなので、そこんとこひとつ夜露死苦。)
日本酒を広めたいと思っている人たちに、この概念は欠如しとらんだろうか?
広めたいと思っている人は、考えるし考えられるから日本酒が楽しいのであって。
残念ながら、それ以外の人にはそうでもないんじゃないだろうか?
そして、その人たちが躍起になって薦めているクラスの日本酒は確かに増えていると思うけど、薦められたその人たちは美味しいから飲んでいるのだろうか?
ただ、それを媒体として親しい人たちと楽しみたいから、そのときの旬な媒体としてちょうど良い日本酒を飲んでるだけじゃないのだろうか?
そういう相手が居なかったらそもそも日本酒、ことにこのクラスの日本酒は飲まないんじゃないだろうか?
考えずに楽しみたいと思っている層については、日本酒は楽しい飲み物なのだろうか?
では、『考えずに毎日飲んじゃう日本酒』って、広めたい層の考える『薦めたい・広めたい日本酒』の範疇なのだろうか?


そう考えるとさ、どうなんかいな〜?って思うわけですよ。



…う〜ん、しかし俺は何言ってんだろうね?




まぁ、そもそものことを言ってしまえば、限られた場所でしか買えない日本酒という時点でお察しなワケですけども。


おわり。