あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

酒と旅と散歩とか日々の記録ブログです

日常:本金を飲んでいる

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久々の出社からの深夜帰宅。
なんか飯を食う感じでもなかったので味噌汁と納豆…
とりあえず酒は飲む。手近に置いてあった本金にするか~。
これ美味いよなぁ~。これはこの季節この気温での常温飲みが一番映えるな。
常温で良い感じってのは楽でいい。コップに入れるだけだし。
疲れているときは何もしたくないから、アクションは極めて少ないほうが助かる。
レンジ燗すらめんどくせーからな。
は~、しかし沁みる。癒やされるぜ。

 

 

【メモ】

biz-journal.jp

興味があったので読んだ。おもろい調査。
これが真実とするなら…という前提でテキトーになんか書く。

俺のテキトーな想像では、若者にとってPBは『正解ではない』『イメージできない』からと思っている。
NBとPBの違いって何か?知名度?知名度はたしかにそうだけどね。
PBって『正解ではないもの』扱いなのではないか?と考えられるんよね。
繋がりが希薄な昨今に置いては情報を得る手段はまぁ多くないわけ。SNSとかはあるけど。
例えばここで言われている若者がインフルエンサーの発信によってPBを知れば買う可能性は高いと思う。でも、そのインフルエンサーはNBを取り上げることが多い。広告はNBだし。なので基本的に流布される情報はNBである。すなわちNBが正解である。
PBとか未知の何かを選択する土壌ってのは口コミとか自身の小さな経験の積み重ねによって培われるものである。突然、「安いからPB!」ってならない。
『正解ではない』ってどういうことかと言うと、無駄な冒険をしないということ。些細なことであれそう。それを「若いくせにチャレンジ精神もない」とするのは違ってて、その土壌を作ってきたのは選択肢を最適化の名のもとに削除してきた我々であろうな~とは薄っすら思う。

『イメージできない』これも関連している。
ここで取り上げられてるまいばすけっとだけど、どれくらいの人が使ってるか知らんけど、俺は近くにあるけど用がない限りは行かない。今までに利用した回数は2回。PBビール買ったのと友人におすすめされたモツ煮込み買ったとき。まいばすがそもそも何屋か知らない人は思ったより多い。
「外から見ればスーパーに決まってるだろ!」ってのはそう感じる人の答えでしか無い。スーパーはスーパーであろうとしているし、コンビニはコンビニであろうとしている。ミニスーパーはどうか?あんまりイメージを聞かない。ミニスーパー然とする所作も見たことない。
スーパーでもないしコンビニでもない、それはすなわち「正解ではない」のだろう。
また、まいばす使ったことある人はわかると思うけど、店内照明がコンビニ比べると暗いところがあったりする。そしてコンビニみたいにいわゆる戸建て状態の店舗は無くて、どこかのテナントとして入っているため窓ガラスが少ない。窓ガラスが少ない上に、店舗によっては中が見えないくらいガラスに何か貼られているところもある。そうすると閉塞感が生まれる。こんな感じ↓

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店舗によるかもしれんけど、明るくなかったり外から見えなかったりする。
また、そういうのあって「これがまいばすです!」を外見上統一させている情報が無い。そのためイメージされる正解が無いのかも知れない。
安さと品揃えではスーパーに勝てず、明るさと分かりやすさではコンビニに勝てていない。見えにくい&情報も多くないのでイメージもしづらい。
そんな「正解ではないところ」で売ってるPBは利用されるのか?
というと…そこまで利用されないのかも知れない。かも。

例えば正露丸が欲しいとする。
ドラッグストアには正露丸1,000円、正露丸もどきXが700円、正露丸もどきZが500円だとしたら何を買うか?
若者は正露丸を買うだろう。正露丸を買いに来たからだ。
そこに不正解はない。無駄な時間も使わない。
俺だったらどうするだろう?成分を調べた結果、全てが同じ効能と判断したら安いのを買うかもしれない。
何が違うか?

前者:正解を即座に選ぶ合理性
後者:時間かけてコスパを選ぶ合理性

であると思う。そこには2つの合理性が存在しているだけだ。
そして思った効能が得られなかったらどうか?
前者の場合は「”正解”で解が得られないならしょうがない」になるかもしれん。だけど、間違っても安いやつ(もどきX・もどきZ)を買い直したりはしない。
後者の場合は「ジェネリックは駄目だな…」となって、もどきでない正露丸を買い直すかもしれない。なので究極な合理性でいえば諦めまでのスピードという意味において前者が正しい感じはする。
後者を選ぶ人は、経験によって『速度的な合理性』を失った者あるいは選択することに目的を見出しちゃってる者だと思う。
前者はすべての無駄を排除して、前例のある『正解』へのルートをトレースした究極の合理性を持った者なのかもしれん。
俺らは無駄を実行する経験を経てるからこそ『選択肢』を選ぶが、無駄を実行することを排除しているor排除されてきた環境下の若者は『選択肢』そのものを選ばない。
その結果、些細な値段は無視されるわけだ。たぶん。

まぁこれは俺のテキトーな想像だけどな!ていうか、このブログは全て想像で書いてるが。まーこれがそれなりに当たってたとしたら、日本酒とか焼酎ってなかなか厳しいよな~とは思うよね。

とりあえず、月並みな言葉で〆るなら「若モンの考えていることはわからん!」になるなw 俺は若くないので!