あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

酒と旅と散歩とか日々の記録ブログです

日常:山乃守を飲んでいる(日本酒の未来…っぽいことちょっと書いてる)

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これは先日の千葉ツアーで買ってきた焼酎ですね。
40度あるのに一升瓶で3000円くらいで買えてしまうという超リーズナブル麦焼酎。
味はヒジョーに良いです。よい。すき。

 

【メモ】

www.nankainn.com

出荷量微減、コロナの影響は大 奄美黒糖焼酎、遺産効果に期待 | 南海日日新聞

コロナ影響で消費が激減したものの筆頭といえば酒&酒を取り巻くあれこれ。
まぁそれが無かったとしても消費が上向きかって言うとそんなことないよね。
島酒である黒糖焼酎とか泡盛とか、現地でも飲まれてないっていうし。
現地でも飲まれないからインバウンドに期待したいのはまぁ分かる。気持ちはわかる。
じゃあ、インバウンドのお気持ち察したことあるのか?って言うとあんまりそういうの聞かない。自分らが飲まないものは他人も興味持たないし、ローカライズ(言語・世代間差異などを含め)されてないものはまず理解されない。
まぁぶっちゃけ、インバウンドを期待するなら外国人に製造も経営も任せちゃったほうが早いし、若い人に飲んでもらいたいなら若い人に製造も経営も任せちゃったほうが早いと思うけどね。なんかそういう新規蔵造りやすくすれば従来の蔵も参考になると思うし。

biz-journal.jp

日本酒、10年後には消滅の危機?新規参入を拒む業界事情&所得格差と“酒格差”の関係とは

読んでない。読んでないうえでテキトーに。
まず、現在の日本酒消費者をおっちゃん層と新時代層と2分するとして、現状はまだかろうじておっちゃんたちが飲める状態(主に健康状態、経済状態)ではある。あと10~XX年すると飲めてたおっちゃんはほぼリタイアするからそれ系の酒はなくなる可能性が極めて高い。
それ系の酒はなにか?っつーと、スーパーに置いてある酒&居酒屋で『酒』しか書いてない酒ですね。まぁほぼ消える。主要ターゲットが居なくなるので。
そうすると新時代系はどうか?ターゲット違うから安泰か?それが全然そうでもない。実はそのおっちゃん層の基盤上に乗っていて存在していた。ある意味カウンターカルチャーみたいな側面もあったもんだから、メインカルチャー無くなっちゃうと困っちゃう。まだ今んところ新時代系がメインカルチャーとなるまでには至ってないし。
それはナショナルブランド系の大手も気づいているので頑張っている(たぶん)。

何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も言ってるけど「美味しいから売れる」はまぁ間違っている。いや、間違っているというかあんまり正しくない。アルコールの持っている意義をまるっと無視した発言でしかない。
じゃあ、ノンアルはメインストリームになりうるほど売れているのか?っていうとやっぱり違う。仮に超超超超ハイパー美味いノンアルが開発されてもアルコール市場の助けになるかっていうとならん。

おっちゃんたち、日本酒美味いと思って飲んでない。というか、それと違うところに価値を感じて飲んでいる。美味しいで選ばれるものはあんま日常性ない。おっちゃんたちは日常のささやかな解放・開放として飲んでいる。それに慣れちゃったから「それでいい」になってるし、別に美味いもんでもないけど慣れちゃったから美味く感じてる。筋肉痛を揉んでいるようなものだ。「痛いけど気持ちいい」みたいな。むしろそのために筋肉痛を起こしているフシすらある。
ただまぁ時代がそれを求めなくなったら趣味側で生きていかにゃいかんので、そうするとやっぱり専門性高くなって難しくなってコストも高くなるわけよね。
「それしかないからそれを選んだ」時代から、「数ある趣味系ジャンルの中での1ジャンル」という群雄割拠時代へ。やりがいはあるだろうけど生き残るという意味では超大変。

日本酒の衰退は日本酒だけの問題じゃなくて(同じく消費or市場価値を落としているモノ・コトに関しては似たような傾向がある)、あらゆる場面でクリーンな選択肢(最適解ではなく”正しい”みたいな解)を選び続けた故におこった枠組みとしての縮小化・選択肢の減少でしかないなぁって気もしてる。それに対しては是も非もないただの事象だけどね。ちょっとここらへんは別エントリで書いたほうが良いだろうけど(書かない)。

んで、現状かつての日本酒の役割を担っているのはRTD(ビールも含む)なんだけど、RTDのすごいところは「アルコールの存在する意味は”美味しいから飲む”・”美味しいから売れる”だけではないしむしろそうではない」と完全に理解しているところです。『美味しい日本酒』を毎日飲むことは難しいけど、RTDは美味しくなくても毎日飲める。
その美味しい日本酒はたまに飲むアルコール飲料としての価値となるので、やはり値段は上げざるを得ないから「日本酒安すぎ問題」は時間が解決します。ただ、パイはめちゃめちゃ狭くなる。選ばれるもの以外は選ばれない化(察せよ)が進むので、これまで以上に体験よりも体系と概念こそが有利な時代になるだろうねぇ。

美味しくなくても続いていた文化、それにはちゃんと理由も意義もあった。
それに早く気付いた方が良かったし、知って理解する必要もあった…のかもしれん。かもしれん。
ちなみに旧時代と新時代どっちが良い悪いと言っているわけではなく、知ると知らないでは今後の在り方が違うよねってことを言っている。

まぁ、ここまで書いたことは俺の想像でしかないから、実際にどうなんかよく分らんけどね。俺の想像です。想像。いつも想像で書いてるけど。