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日常:神結 播州平野を飲んでてふと思ったこと

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神結(かんむすび) 播州平野、これは純米スペックに見えるけど普通酒扱いとなっていた。等外米なんかな?よーわからんが。味は落ち着いた日常系。好き。

 
しかし酒をいろいろ飲んでいると、良し悪しの意味ではなく「これは本来、わざわざ飲まなければいけない酒では無かったろうな」と思うことがある。
それは「飲む必要が無い」という意味ではなく「これは地元民向けの酒であって、(従来であれば)地元消費で需要と供給が成り立っていたであろうから取り立てて地域外の者が積極的にこれを選ぶことはなかっただろうな」くらいの意味である。
この酒を飲んでふとそんなことを思った。俺はいろんなところで素性もよくわからない酒も好んで買ってるからこういうことはよくあるわけです。

ちなみにこの蔵の酒は正直言ってどれも美味い。
しかし、外向けかと言われるとちょっと違う感じもする。
そもそも外向きへのアピールをほとんどしていない。
地元で日常的に飲まれている(飲まれていた)酒なのだろう。

「地元を愛せよ」理論で言えば、俺は近所で造られている酒を愛飲していれば問題無かったのだ。元々の日本酒はドメスティックな存在であったし、本来の日常酒とはそういうものであったはずだ。
地元人が当たり前のように地元酒を酌み交わす。これが永劫と繰り返されていれば「日本酒の未来」などと考えることもなかったろう。
繰り返すが、地元の人が飲めば良いと意味であって飲んでもしょうがないという意味ではないぞ。 

しかし地方は純粋に人口が減っているから消費がダダ下がりなわけです。
俺は「未知の何かを知りたい」と思って地方の地元人向けの酒を買ったりしてるだけの好事家であり、全くもって殊勝な人間ではないので、「ほんの少しでも消費量の食い止めにでもなれば~」とかは考えたりはしないけど、まぁそれでも結果的になんかの足しになったなら良よいね、とは思ったりしますよね。なんかの足しになってるかわからんけど。

でもな、俺はこういう酒こそ飲んでいるとホッとするんよ。
そこにはかつて酒の存在する日常があったんだ。