あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

酒と旅と散歩とか日々の記録ブログです

日常+食中酒考察(ただし、全引用)(2回目)


池の露、熊本は天草のいも焼酎でございます。
既に古酒でありながら、ウチでも数年寝てるので大古酒へのジョブチェンジを果たしておるような気がせんでもないですけど、味の変化はそんな無いです。
でも湯割りでうまい!うまい!




【食中酒考察第2回】
またもやいけひろさんから興味深いコメントがございました。
ブログ読者には読んでもらいたい内容だったのでアップ致します。

ジョッキハイボールという飲ませ方の怖ろしいコトは、商品が出来上がると同時にガンガン薄くなっていくところではないでしょうか。最後はウイスキーがほのかに香る冷たい水として飲むことも可能。お酒に強い人は、最初の濃さのでドンドンおかわり。お酒に弱い人、ゆっくり酒宴を楽しみたい人は、、強い人と同じ飲み物を頼みながらも、理想的なアルコールと水の摂取の流れで場に溶け込むことが可能。
このスタイルを作ったのは、アルコール入りジュース系の酒類(サワーや、チェーン居酒屋によくある大きめグラス氷多めカクテル)ですが、それらの場合、飲み助から
「料理喰いながら、なんでそんなジュース飲めんの?」
的なテレパシーを送りつけられるので、カシスソーダ好きのテレパシストさんなど、ずいぶん悲しい思いをしたと思います。
その点でもジョッキハイボール、美しい妥協点かと?


私は酒量のない人で、日本酒は和らぎ水必須ですが、ぶっちゃけ和らぎ水面倒くさいし、テーブル上の風景的にも不粋は不粋という気もしています。質の良い日本酒を吞んでる時の和らぎ水が水道水感満点だとそれに気付くというノイズ入るし。(水道水自体は、普段普通に飲むけど)和らぎ水って、昔からあったのでしょうか?
ハイボール残りの氷水方式は、卓上がスマートだし、ウイスキーフレーバーなので水道水感和らぎますね。


ちなみに、サントリーが業務用にハイボール缶出していますが、この容量が160ccです。ジョッキにクラッシュアイス詰めて、コレを注げばナミナミのジョッキハイボール出来上がり。ご紹介のサントリーの記事によると、ウイスキーと炭酸水の比率は1:4らしいので、一杯あたりのウイスキーは、32cc。あとは水。


ポン酒で晩酌今昔 (の、私的イメージ)
貧乏人には非日常の贅沢品
  ↓
江戸期 都市部から徐々に庶民にも
  ↓
明治 「軍人になるとサケが飲める」と富国強兵策の中で使われて、一気に庶民に晩酌の習慣が広まったという説あり。ありそう。
  ↓
戦後から復興期 まぁ、そんなに質は問われなかったように思えるし、飲酒のパイは拡大。ポン酒と焼酎しかない。冷蔵庫ない。食事の基本構成に庶民和食としての汁物まだまだ必須。 →何の問題も無く日本酒消費量黄金期
  ↓
じわじわと新しい酒類に市民権 ビールとか、トリスバーで第一期ハイボール
食卓の洋食化。
給食(流動媒体、牛乳のみ)に鍛えられ、料理に合う合わない、主食がパンだろうが米飯だろうが、お構いなしの水分で食事を進められるようになったポンニチのヒトビト。
今にして思えば、美味い不味いに目をつぶれば、程良く?味気なく、度数もちょっぴり低めだったりして、実は食中酒適性高かったんじゃないの?な、三増な安酒も、まだまだ頑張れていた?
  ↓
濃くない酒類ヨリドリミドリ。
伝統的和食基本構成、後退進む。安ポン酒、通用しなくなる。
しかし、ジュースで飯が食えるが故に、香り系のプンプン日本酒でも和食も食べるし、洋食に日本酒 という市場も成立。これは光明だったわけで、否定すべきでもないと思う。
  ↓
一周回って?「食中酒としての、本来の日本酒」の声、高まる?
生き物としての一般的日本人や、歴史的な流れに対して、マッチするだろうか?


こんな感じですかね?


江戸期に、上方から送られてきた良い日本酒が薄めて売られていたという史実は、悪徳商法的なネガな語られ方ばかりが目につきますが、
先ず第一に、昇龍蓬莱や開春などが江戸期の製法を再現したとしてリリースしているお酒は、濃ゆいです。全てがそうなのかは知りませんが…
あと、今回書いてきた、日本酒、キツイよね問題。
考え合わせると、別に悪徳酒屋でなくても、薄めるのが正しい代物でもあり、中には度が過ぎて薄める連中もいました ぐらいのコトなのでは? という気もしています。

吉村さんトコの読み物にこんなのが…
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1142220595810769&id=454942221205280
(3月29日:蔵元 旨し酒だより アーカイブ 「玉をきかす」のとこ)


こんひーろさんのかわりに読んで、頼まれもしないのにまとめると、
江戸期には、酒屋は、樽で原酒的なモノを仕入れて、それを客の好みの濃さに薄めて売っていた。
割水は、酒屋としての「腕」の見せ所であった。
明治大正昭和の御代、戦争の影響で物的に困窮する。度の過ぎた水割り日本酒が横行。
等級制が施行され、国が定めた基準(アルコール度数含む)を満たした日本酒しか売っちゃいけなくなる。アルコール度数は、15〜16度


色々あって、しばらく前に等級制廃止


ーーーーまとめ、ここまでーーーーーーー


江戸期、面白れぇ〜!!
なんとも先進的ではないですか。
今は、法的にこういうのは無理なんですかね?


等級制は、まるで視野に入っていませんでしたし、特級から二級まで、度数は一律15〜16°というのも知りませんでした。現在の まる、天、月、あたりが、13〜14°なので、昔の二級酒もそうだったんだろうと勝手に決めつけていました。


ここに至っての関心は、その江戸期の最もポピュラーな濃さ …というか薄さは? とか、等級制開始にあたって、なぜその度数だったのか?とか、その辺りになります。


別にわたくし、現在の飲酒スタイルが間違っているとか言いたいわけじゃなくてですね、
「本来の」とか、それに類する捉え方をしようとするのなら、
個人的には… 極私的には、 それ相応の事実が過去にあってくれなきゃならないんじゃないかと思うのですよ。
で、今現在の、日本酒愛にあふれる(マニア寄りの)方々のハートに響く正しげな飲酒スタイルなんですけど、わたくしの目には「本来の」には見えず、「『日本酒はいつでも時代の子』的に、時代に合わせて迷走しまくりのオサケの、最新も最新!未だかつてなかった日本酒を、未だかつてなかった飲み方で楽しむ様式探しの最前線」みたいに見え、しかもそれは、ちょいと生理学的に無理も強いていませんか?とも思えるのでした。


ダラダラ書いてきたついでにもう少し書くと、私、大学時代は漫研でした。
そのサークルでは、入学式の後の余興のサークル紹介は、2年生の役割でした。わたしらが2年生の時、まぁ漫研なんてどうにも地味なサークルですし、ユニフォームとかあるわけでもないし、少しでも地味さを誤魔化そうと、イラスト入りの立て看板を持って行ったんですよ。で、立て看板と一緒に壇上に立ち、サークル紹介。立て看板持っていったのは、サークル史上初です。


で、翌年
入学式の会場が、バスか路面電車で行かなきゃならないような遠くのホールになりました。立て看板を持って行くのは大変です。新2年生達、会議です。その時、新2年生の中心人物が、
「立て看は、どんなにたいへんでも持って行かんにゃいけん!立て看は、ウチの伝統よ!!」


えぇ〜!! 伝統!


歴史誕生の瞬間に立ち会った気がしましたよ。
それ以来、「モノゴトは、目を離した隙に勝手にレキシになる」
「レキシは、ほおっておくと勝手にキヨクタダシクウツクシクなる。そのモノゴトを愛するセイジツなヒトビトによって…」と、思っています。


なんか、日本酒愛にあふれる方々のまわりのくうきのにほ… 以下自粛


わたしはみもふたもなくありたい。

そしてこれはcongiroさんの友人W氏の興味深いツイートを(勝手に)うpさせて頂きます。




本日は以上です。


「ん?引用だけでお前なんも書いとらんやん!」って?



Exactly(そのとおりでございます)


ホラ、GWだし、ラクしたいじゃん?
というわけで、自分の考えとかは第3回以降に適当にアップさせていただきます。
全然まとまってないので、言いっ放しでやろうかと思う所存。