あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

酒と旅と散歩とか日々の記録ブログです

日常++++


東京祭り。
正直なところ、なかなか厳しい。




【メモ】
◆再起の酒初出荷 全焼の白神酒造/Web東奥・ニュース
https://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2015/20150522144651.asp
おお!買わねば!



ツイッターから


これ自体はとても良いことだとは思う。
良いことだとは思うのだが、ぶっちゃけた話ですよ、焼酎ってどこの産地で造られたって分かるほどの差が無いよね。
泡盛とか黒糖焼酎みたいに生産地的な制限かけとけば別だけど(基本的に泡盛は沖縄でしか造れない/黒糖焼酎奄美群島でしか造れない)、例えば鹿児島・宮崎・大分・八丈島で造られた芋焼酎飲んでも差が全然分からんわけですよ。
あと、博多焼酎ってなんや?フクオカンだけど聞いたことねーぞ!?
それはともあれ産地によるブランドの差別化は良いことやと思います。
味に違いがあろうがなかろうが、『○○県の○○焼酎は、まろやかでありつつもパンチの有る味わいが特徴です』みたいなこと言い切っちゃって良いと思う。ていうか、言わなきゃダメだと思うね。
なので、そこに関わる人が外部の人に説明する際に、地域に自信を持って答えられる説明を協会は用意してほしいものであります。



◆黒石・老舗造り酒屋:「中村亀吉」が競売に 地裁支部醸造工場などを公告 /青森 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20150325ddlk02020257000c.html
飲む人が居なければ潰れるのは当然の理です。
ではどうしましょうか?ってのを考えなきゃいかんわけで。
ていうか、苦しい現状がありつつも生き残りたいと思ってる蔵は早めにSOS出したらどうだろうか?
蔵の矜持としては美学的にもナシなのかもしれんけどさ。


これ、2年前の俺発言だが

話は変わるけど、「潰すなと言うなら飲め」というのが正しいか?ということに関しては、本来の意味において『地酒』は地元の支援なくしては成り立たないので、その地域に経営が成り立つだけの消費者が存在するか?って話になるんじゃないかと思わんでもないです。
そこを飛び越えて、違う地域の我々が飲んで支援というのが果たして正しいのか?というのはちょっと疑問ではある。というか限界がある。
歴史がー伝統がー文化がーって言おうが、最終的には「(いろんな意味で)そこに人はいるのか?」って話になってしまうわけで。
ていうか、日本の人口って減ってるから、それだけで単純に考えるなら消費量も伸びるわけないし、当然のように蔵も潰れるわけですよ。

ラーメン屋と同じ感覚で見るならば、潰れるところは潰れてもやむなし、という結論になってしまう。
でも「お前らが飲まないから潰れるんだ!」ってのは、自分で言っておいてなんだけど、地酒においてはちょっと暴論気味でもあるかな?とも思ってる。単純に俺の心情的なものがほとんどを占めてはおるけどね。
なぜかっつーと、蔵の場合は場所によっては観光商材としての面が強いことと、潰れても再生しないという点があるからなのよね。(観光商材と行っても人が来なきゃ負債だけど)
特に黒石において中村亀吉蔵が失われることは、第三者視点で見れば画竜点晴を欠くと言わざるをえないワケですよ。
でも、売れなければ食っていけない。
今後もこういうケースは多々出てくるわけだけど、「俺の立場でできることってなんやろ?」って思うわけでございますよ。
来月予定のイベントがその答えの一つになるかな?と思い込んでいるけど、だからってそれが助けになるだなんて大層なことは思ってなくてな。
しかし、もっと知ってもらうためのきっかけって何があるんやろね?
まぁこうやって話題にし続けるしかないんだけどよ。



◆個人店に大切にされる1人飲み食いの仕方について - ベンチャー役員三界に家なし
http://d.hatena.ne.jp/grand_bishop/20150518/1431943684
先日の続き。
このエントリは結構な影響力を持って色んな所に拡散しておりますね。
ツイッターフェイスブックで提供者側からのシェアもいまだに見かけますな。
まぁ確かに、正直殆どの店はエントリにあるような客を希望しておるのではないか?とは思ってたりもする。しかしね、店側が必要なルールを明文化も無しにそれをあえて口に出すとあんま行きたくなくなるのも事実なんよね。
俺自身が招かれざる客とは思っていないけども、そんなのは店側の考え方次第っつーか、さじ加減ひとつで変わっちゃうからなー。
でも、一家言ある店はどんどん口に出せば良いと思う。
それが選ばれる理由にもなるし、選ばれない理由にもなる。
俺も金・時間・体力は有限なので、限られたリソースは使いたい店で使うだけでございます。


しかしですよ、なんといいますかね、俺らの世代もだけど、俺らの世代より若い世代もまぁ、諸先輩方々から『飲み方』なんぞ教えてもらったことがないわけですよ。
だから粋な飲み方とか所作とか、場合によってはマナー・ルールのなんたるかを知らんわけですよ。
すると我流にならざるをえないわけで、今まで自分が生きてきた経験から『だいたいこんなもんだろう』ってな思想に基づいて行動するに至るわけです。
でよ、世代間で感覚に差があるんだけど、上の世代が当たり前と思っていることを、下の世代は当たり前と思っていないというか知らんのよね。
同じ日本人であろうと世代が違ったら外国人と思った方がいい。ただ同じ言語使ってるだけだ。
現代は特に上下の繋がりが希薄になってきているのだから、それを分かっているのならば明文化しちゃったら?って思うわけですよ。
銭湯にはあるでしょ。
『ちんこと尻は洗って入れ』『湯船にタオル浸けるな』『洗濯するな髪染めるな』みたいなやつ。
その告知&認知があることで協調のある場は作られるわけですよ。
ポスターがあるからって、別に無粋とは誰も思ったりはせんわけさ。
もうさ、店が『正しい飲み方講座』とかやったらいい。
組合あるなら『ルールを守って楽しい酒場』みたいなポスターでもなんでも作って明文化したらいい。


ところで話は変わるが(たいして変わらんけど)、新宿に俺のソウルフードと言ってしまっても構わんくらい好きなとんかつ屋がある。
ここは明文化されていない暗黙ルール(並んでる間にメニュー決めろ、空いていようが横並び、相席強要、食ったらくつろぐな帰れ!)で満載だ。
しかし、ここは先輩が連れてってくれて、そこの流儀を教えてくれたからすんなり郷に従うことができたし、味も量も俺にジャストなんでかれこれ15年以上は通ってる。
ここより美味しい店って探せばいくらでもあると思うけど、他のどんな店に行ってもしっくりこない。やはり俺が一番好きなとんかつ屋はここなのだ。
でも、初訪問が何の情報もない状態だったら、ひょっとすると腹立てて帰ったかもしれない。
そして、その暗黙のルールは今も変わらず全くブレがない。
なんというのかな、恐らくなんだけど『ルールを知るとルールが無い店よりも楽しくなる現象』ってのがあると思う。たぶん。
そこでは『問題なく任務を完了すること』が『店から認められし者』と同義であるみたいな感じがあってですね。いや、というよりも『そこの景色を創りだす劇団員のひとり』みたいな感覚かな?
なもんで、意味さえ理解してしまえば縛りのある店のほうが心地良いということは結構あるのではなかろうかと思うわけで。定められたルール下で任務をこなすルーチンワーク?様式美?って一種の快があるようにも思うのよ。
というわけで、暗黙のルールや一家言ある店に関しては、連れて行ってくれる誰かがいると良いよね!というお話しじゃった…



アレっすよ、俺が嫌いなのは、明文化もなしに「察することが大人」みたいな思想の積み重ねが行き過ぎて、独自ルールまで常識の範疇に適用&強制しちゃってる行為そのものなのよね。店とか関係なくね。
そんなもん知らんっつーの。


ま、『個人店に大切にされる1人飲み食いの仕方について』についての俺の答えは…
『懇意にしている店には行き続けて、そしてそこに新たな客も連れて行く』
それに尽きるんじゃないかと思います。