あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

酒と旅と散歩とか日々の記録ブログです

日常+++


TMJMN!
多満自慢2種。
左のやつはなかなかええですね。
味があります。
右のやつは置いただけで飲んでないから知らん。




【メモ】
米焼酎が完成 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/local/shizuoka/news/20141024-OYTNT50111.html
タイトルの「あっ、はい」感がすごい。
5W1H要素の幾つかを含めるのがタイトルの常だけど、そういうのが皆無。
「ごはんできた!」くらいのタイトルなので逆に好印象です。
むしろ、一部で流行りの【悲報】【朗報】あたりをつけてやりたい。
モチロン本文は読んでおりません!エヘン!



ベトナムに日本酒文化を 萱島酒造が新戦略 - 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate
http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2014/10/25/210117140
読んでない。
そういや西の関の古酒がウチにあったなーって思いだした。
なんのために取り上げたかって言うと、1個上の記事の対比用。
タイトルってこういうのが自然よね!って。



◆取りあえず酎ハイ!?変わる「日本の飲み方」|今週の週刊ダイヤモンド ここが見どころ|ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/61071
市場分析が出来て現状に固執しない大企業ならではの発想ですな。

現在の酒類業界の状況は、各ジャンルが限られたパイを奪い合う、椅子取りゲームの様相を呈している。しかし、縮小を続ける国内市場では、どの酒も“成長の限界”がある。

話は日本酒に変わるが、俺はよく「日本酒には未来がない」と言っておりますが、それはいまの主要消費者層である団塊以上がフェードアウトしたらの話なんですよね。
そうすると今の安酒(普通酒本醸造)が飲まれる文化はまぁ消え去るだろうと思うわけで。
するとそこら辺を収入源にしている蔵は無くなるわけですよ。
広大な敷地に大勢の従業員ってのはどうかんがえても無理があるわけで。
でも、趣味系の酒を小さいスペース&少人数でやるようにできればまた話は別なんですよね。
もしくは、新時代の酒が『団塊以上の酒』の消費ラインまで売上を伸ばし、一般的に飲まれるようになるか。まぁ、これはなかなか難しいことだけども。
しかし、昨日飲んだ大関のカップはなんかそこら辺をどうにかしようという気概みたいなのちょっと感じたし、ひょっとすると獺祭もそのへん狙ってたりするんじゃなかろうか?と。
なんかどっか風の噂で「獺祭の味が落ちてる」というのを最近聞いた。
俺は飲んでないから判断できないけど、それが真実でかつ蔵の意図的な策だとしたら結構画期的な戦略なのかな?と思わんでもないのです。
それは味を落としたというよりも、一般向けに味を最適化しはじめたとも判断もできるから。
一番大きなマーケットを狙うのが大企業の使命と思うからね。獺祭が大企業なのかは知らんが。
そもそもね、俺は素晴らしいものが市場を席巻したってあんま聞かんのですよ。
むしろ本当に素晴らしい物は一部の能動層が理解するに留まり、そこまで多くの理解者が居るわけではないと思っとるんです。
そして理解者が多いものは理解を浸透させるための働きかけを行ったものであるよ。と。
んでよ、俺が知ってる限りの獺祭にはまだ趣味性みたいなところが結構あるから、それは一番大きなマーケットを狙う上でスリム化する必要もひょっとしたらあるんかも知れんなーって。
分かりやすいラインを狙っていくってのは『企業』としては正解だと思っておるんですよね。
とはいえ多くの日本酒蔵は一般企業でありながら自営業みたいなとこがあるんで、そう簡単に気持ち切り替えられんというのもよく分かるんですけどね。やっぱ自分たちが思っているものを造りたいってのは当然の欲求じゃない。金は欲しいけどさ。
ただ、その大きなマスを狙っていく企業ってのは、ひいてはマイナーマーケットのマスも拡大してくれてるわけだからもっと有難がられても良いんじゃないかってcongiroさんは思っとるんですよ。
何度も言ってるけど、影が存在感を増すのは光が強いときですからね。
だから光はどんどん大きくなればイイよねって思っとるわけです。
ただ、その光が影をも食い潰しにかかってきたら口撃せざるを得ませんけども。
まぁせいぜい口撃しかできませんが。


なんか、任天堂セガに対するテトリス事件を思い出しました。
あの頃のセガ信者はみんな任天堂がキライでした。
今となってはどうでもいい思い出です。


おわり。