あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

酒と旅と散歩とか日々の記録ブログです

日常+雑感(メニューの無い店について)


喜久酔、松嶺の富士、有磯 曙 初嵐、とチャハーン。
うん。



【雑感:メニューの無い店について】
俺が昨日行った『らすとらあだ』はメニューが存在しなかった。
昔の俺では考えられなかったが、最近はメニューが無い店、またはメニューはあるけどお任せにしてしまえる店が好きだ。(コースとかじゃなくて、突然行っておまかせ注文できること)
メニューが無いとなるとそりゃ、「いくらになるか分からん」不安ってのはあるんだけども、まず常識額だし、それでも不安ならネットでいくらでも事前調査ができる(しないけど)。
それでも不安なら行かないという究極の選択肢が選べるわけですよ!


メニューはあるけどお任せ出来る店、これは個人経営のセレクト系居酒屋だったら、今はだいたい受けてくれるんじゃなかろうか?
俺が数回行った所だと、若水(京都・鞍馬口)も酒坊主(東京・富ヶ谷)も当然のように受けてくれる。
とは言っても、ピンポイントで食べたいのがあれば途中で頼むこともできる。
セレクト系の居酒屋だったら、おまかせで腹具合とそのときの気分ぐらい伝えておけば、まず失敗はないんではなかろうか?
店側が流れを考えて組み立ててくれるので、下手に自分でメイン!メイン!メイン!みたいな注文をするよりも良かったりする。
どっかで見聞きしたことあるけど、「おまかせと言われたほうがプレッシャーがあって燃える!」とかいう店もあるらしいが、実際そういう店は多いんじゃなかろうか?
そして、そのへんにプライドを持ってる店は好きだ。



ところで、俺がメニューを重視しなくなったのはなぜだろう?
大人の余裕なのか?老いたからなのか?はたまた摂理的な何かか?
こういうのは摂理とかなさそうに見えるんだけど、一概にそうでもなさそうな気がする。


わかり易い例で言えばゲームだ。
黎明期は単純なドット絵のゲームで、コントローラーは当然ものすごく単純なものだった。
そして数年経ち、ゲームは驚くべき進化を遂げた。
グラフィックも音楽も、そして操作もよりリアルになった。
複雑化したコントロール系統はそのうち娯楽であるゲームから娯楽性を奪い去った。
それからさらに数年経つとどうなったか?
wiiを代表するようなゲーム機は表現こそリアルなものの、シンプルなコントロール系統になった。
複雑化した操作系統は完全には無くならないものの、シンプルなコントロール系統(体を使った分かりやすいもの)はx-boxシリーズのキネクトなどが追従した。
iphoneAndroidなどはどうだろう?
複数の家電の機能を取り込んだ結果、明らかに複雑化しているにもかかわらず、とてもシンプルな操作系統・メニュー構成だ。


「究極に進化したものは、そのうちより人間に近づく」
「進化の行き着く先は原点」
てなよく分からんことを友人が言っていた。
その時はよく分からんかったが、今はなんかそれが分かるような気がする。
いや、分かってんのかなんなのか分かってないけど。


料理も酒もサービスも年々レベルが上がり複雑化した。
それを容易に楽しむのは、メニューの排除(選択肢の排除)だったりするのかなー?とかなんとか思ったりして。
とにかく今は、選ぶ喜びより何が来るかわからない楽しさの方が上回っております。
それに貧乏性の俺は、いざ選ぶとなると一度にあれもこれも選びたくなってしまうので、やっぱ店任せが一番楽だニャーって。
ニャーって!



おわり。




【追記】
http://d.hatena.ne.jp/congiro/20140617/1402970043
先日のエントリの続きにもなるけど、チェーン居酒屋が客足減ってるのって、この辺もあるんじゃないかね?
選択肢が多すぎて複雑化している。
その上でマズイと来たら選ぶ喜びすらないワケよ。
だけど、なんかファミレスには選ぶ喜びはあるのよね。
なんでやろね?色彩的なアレかね?それとも偏見かいな?