あのcongiroが、酒と旅と○○を大いに語る!ブログ!

酒と旅と散歩とか日々の記録ブログです

ローカライズとロビイング(その3):最も手っ取り早い流布は然るべき媒体が数値化しちゃうことだろうな

※画像と内容は無関係

ところでcongiroさん、このエントリをこのシリーズのラストの方に持ってくるつもりだったんですけど、関連ニュースのおかげで前倒しになりました。
そして関連ニュースのお陰で俺の心情を吐露するだけの糞薄っぺらいエントリがちょっとだけ厚みを出しましたw


というわけで、タイトル通りなんですが…
『日本酒を手っ取り早く一般のものにするには然るべき媒体が数値化すんのが一番早いんじゃないか?』について。


関連ニュースってのはこれだ。まぁ見れや。

◆日本酒にも点数評価は必要?…英国のワイン審査に思う : 新おとな総研 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/otona/drink/sake/20141209-OYT8T50058.html
これはものすごく興味深く面白い。


ちなみに俺はどうかっていうと、しかるべき媒体での点数評価はあってもいいというスタンスでございます。むしろやった方がいいと思っとります。
ただ、実は俺はモノに点数つけるのがあまり好きではなくて、というか嫌いなんだけどな。
でも、口頭では信用していないとは言ってみたものの無意識的には気にしている状態『グヘヘ、嫌がってても体は正直だぜ!くっ、くやしいっ!ビクンビクン現象』が発動してしまうのでございます。それがなんか嫌なんよ。
たとえば食べログで言葉の評価がされていなくて3.5の店と3.0の店があったとしましょう。
数値に置き換えられると背景を無視しても基本的にほとんどの人は高い点の方を選びます。そしてそれは当然のことと思っとります。
ちなみに俺はこういう場合よく低い方を選ぶんですけども、それも残念ながら食べログの点数を意識した糞みたいなレジスタンス行動だったりします。
もちろん点数そのものが悪いと言っているわけではなくてね、ただ『背景を無視しても』ってところが重要な点でございまして。
その人にとってその時に必要なのは100点満点中の70点なのかもしれない。50点なのかもしれない。
だけどそういう数値への置き換えをされるとそれに間違いなく惑わされてより高い点を求めたくなるのです。
でも「それはその人の問題であって、点数自体が問題なのではなく当人の判断でしか無い」と言ってしまえばそれはそうなんよね。


で、最大のポイントはここだ!

しかし、こうした専門評価誌の存在は、生産者の方々や消費者の方々を包含した日本酒の世界をエキサイティングにすることも事実です。

これに尽きるのよ。
数値化されることでこうなることはもう間違いないんだよ!
これがあるからやった方が良い、いややって欲しいと思っておるわけですよ。
今まで日が当たらなかったところに日が当たる可能性が増すわけですよ。
いままで知らなかったものを発見できる可能性がぐんと高まるわけですよ。
だから良し悪しはあるだろうし問題点もあるだろうけども、『やらない方が良い/やってほしくない』と『やった方が良い/やってほしい』を天秤にかけると後者の方が比重高くなったりすんのよ。
それに数値化されると間違いなく敷居はドンと下がるからね。ホントよ?
数字ってのは内容を知ってもらうための一番手っ取り早いトリガーになるもんですからね。まじで。
お前らが見ても分かる通り、世の中は数字で動いているだろ?


もうね、俺は正直言うと数値化をそこまで望んでいないんだよ。だけど多分やった方がいいんだよ。
なんとももどかしいアレというか、くだらんウンコみたいなこだわりって言ったらそうなんだけど、でもしょーがないじゃない、にんげんだもの
だけど、間違いなく一般の望みは数値化なのよ。「どっちが良いのか?」ってのを手っ取り早く知りたいんですよ。
そしてこれは俺の考えるところのローカライズの一貫となりうるわけですよ。
ローカライズ必要!」って言っちゃってる俺が、これに反対の立場を取ることが出来ないという悲しいものがたりでございます。


まー、でもよ、俺がどう思っているかに関わらず、然るべき媒体が然るべきやり方で動き始めると世界はそれを中心に動くようになるからね。そうなった時にどうなるのかってのはまた見てみたい気もしてるんだけどね。望もうが望むまいが、いずれそいったものはでてくるんじゃないかな?



ところで、影響力の大小はあるにせよ個人レベルの媒体ではアプリなりサイトなりで日本酒に点数評価を行っているものはございます。
例えば日本酒物語→http://www.sakeno.com/
そしてこのサイトで初めての人が真っ先に見るのはほぼランキングです。(たぶん)
結局ね、アイコンとなる指標がないと言葉だけでは伝わらないことを証明しておるわけですよ。


からしかるべき媒体では、『俺と好みの近い人』か『俺と全く好みの相容れない人』が関わってほしいと思うところでございます。
ビミョーにズレてる人だと何の指標にもならんのやで。



余談ではございますが、むかしむかし大昔、VHSが主流だった時代。
AVの宅配販売をやっていた業者のDMがウチに毎月届いていたんですけどね。
それの評価の仕方がとにかく素晴らしくてですね。
『興奮度20000%』『勃起度2000000%』とか、もう全ての作品に指標となる数値が付いてて、そして全て100%超えちゃってたんですけど、いま考えると優しいシステムだったなーって思います。(客以外には)
(確かまだそのDM持ってたと思うので見つけたらアップするかも)
日本酒の評価もそういうふうにやれば面白いのかも知れんね。
誰も不幸にはならない評価システム。特に幸せにもならんがなw


じゃ、そんなところで。