たぶん!
たぶん!
もうちょっと伸びるのかな?
それともここで頭打ちかな?
最近はまぁ、そういうことを考えなくも無いですが。
周囲の日本酒クラスタからの情報を遮断したら、一切日本酒の情報は入ってきません。
地方だとなおさら。
しかし、蔵とか酒屋単位だと「結構売れてる」とは聞くのですよね。
日本酒って、私はなんとなく2つに大別していて。
スーパーなどのその辺で買える大手酒と、特定の場所でしか買えない中小酒。
前者を『酒』と単純に呼んで、後者を『地酒』と便宜上呼んでいます。
『日本酒』と呼ぶ場合は『酒』と『地酒』ひっくるめた全てのことを言っています。
あくまで私の中で、便宜上そう言っております。
そうすると感じるのは、今は日本酒ブームではなくて地酒ブームなんだな、ということです。
中小の地酒を支えているのは売り手も飲み手も、今のところ多くは都市部の能動層です。
この人たちが中心となって、ブームが作られています。
食べ物のために日本酒を考えたり、日本酒のために食べ物を考えたりしています。
では、その地酒は、日常品足りえるのであろうか?
それとも非日常の嗜好品であろうか?
今のところは能動層の人たちが非日常を日常化しています。
違うジャンルで言えば、毎日ラーメン食って報告している感じなので、
必ずどこかで飽きが来たり、体壊したり、何かのきっかけで単純に発信者としての晩年を迎えます。
趣味性が強い地酒は日常化するようなものだとも思いません。
それらが主役になりたがってしまう時点でその傾向は顕著です。
また、それよりも地酒の場合は、受動層まで含めて日常化するにはそもそものタマ数がありません。
人気の品は手に入らないという状況が続くと、これは能動層が離れるきっかけのひとつとも成り得ます。
先にも言いましたが、地酒の多くは、
食べ物のために日本酒を考えたり、日本酒のために食べ物を考えたりしなくてはいけません。
マリアージュとか言ってるのはその際たるもんかと思います。
入手も難しく、保存もデリケートで、値段も安くはなく、そのうえマッチングの妙まで唱える。
これはもはや難しさの演出でもあります。
やはりなんというか、
そういう趣味性と難易度の高い日本酒、いや地酒は、
能動層のお遊びで終わっちゃうんじゃないか?
と、最近つとに思ったりしています。
『地酒』が『酒』となり、そして意識することなく『日本酒』となる日は来るのだろうか?
日本酒が日常になる日は来るのだろうか?
意識しないと飲まれないものが、果たして多くの受動層に響くのだろうか?
考えずに飲めるものがどう考えても上位に来るのではないのか?
能動層の戦略ゲームはともすれば面白いものではあるものの、
やはり疲弊して飽きられる日は近々来るのではなかろうか?
受動層を含め、広くに伝わって常態化した状態こそ、
日本酒が市民権を得た状態なんじゃないかなと思わないでもありません。
今現状は能動層各々が限られた領土上を動いているという印象だったりします。
いや、別に現状を腐すような事言いたいわけではなく。
なんとなくそんな感じがしてしまうなぁ、という夏休みの感想文でした。
夏休みの感想文なので、第一人称を『私』にして、ついでに無駄な段落増やしてみました。
おわり。